| 今の時代に生まれてラッキーだと思うこと | 2005_09_22 |

先日アメリカのシリコンバレーに行ってきました。
1970年創立のかの有名な「パロアルト研究所」を
どうしても見たかったからです。以下PARCと呼ぶ。
ここは、AT&Tのベル研究所と並ぶ、ゼロックスが1970年に設立した
全米屈指のカリフォルニアにある研究所です。
また、このシリコンバレーという地域は既にご存知のように
グーグル、ヤフー、アップル、HP、アジレントテクノロジー等の
超有名企業のヘッドオフィスがあり、それを支えるスタンフォード
大学があります。
街は、だだっ広い平野に、世界を代表する大きな企業が4階建てくらいの
低い社屋を構え、緑あふれる非常に過ごしやすいところでした。
失礼だが、こんなところで研究することで、どうやって新しいことを
あれほどの革命的製品を創造できるのだろうと感じました。
やはり、研究というものは俗世間から離れた既存概念の届かない
ようなところで生まれるものなのかとさえも感じました。
私のようなビジネスという最も俗世間ぽく且つ時間との勝負で生きている
人間からすると不思議な空間でした。
日本でビジネスを行い、日本を離れアメリカに来ることに非常に
不安でしたが、実際にアメリカに行ってみるとそんな心配は
全くいりませんでした。
アメリカ、今回訪問したのはサンフランシスコ近傍でしたが
無線LAN環境が非常に整っており、日本と同じように
インターネットもメールもする事が出来ました。
ちょうど、アメリカに行っていたのは日本が衆議院選挙で
大騒ぎになっていた9月初旬でした。
私の地元は広島県の東部であり、広島7区という選挙区で
あった。かの有名な広島6区のお隣である福山市というところ
です。
ただ、実兄が旅館を経営しており、そこは広島6区です。
そんなおり、突然アメリカにいる私のところに1通のメールが来ました。
あのホリエモンが、選挙演説の前に兄の旅館で昼食を取ること
になったそうです。
これは何かの縁かと思い、すぐにホリエ社長向けのメールを
書きました。東京の渋谷に住んでいる私と是非お食事をして下さい
という内容とちょっとした会社紹介です。
日本からメールが来たのは日本時間の日曜日のお昼。ホリエ社長が
兄の旅館で昼食を取るのが月曜日のお昼。
日本で手紙を出したら、届くかどうかは郵便局任せ。ましてや
アメリカから翌日届くなど不可能。
ホリエ社長への私のメッセージをメールで送り、それをプリントアウトし
手紙にしてもらい無事渡してもらったようです。
皆さんにとっては当たり前のような今の日常であるが
地球上の物理的な制約が無くなったかのような記憶に残る
出来事でした。
なぜこのような事をこのメッセージに載せたかというと
この物理的な制約を全て取り払ってくれたのが、あの「パロアルト研究所
(PARC)」だからです。
1960年代後半、ゼロックスはオフィスコピー機市場を独占し無くなる
事の無いキャッシュを持っていましたが、新しいコンピューター分野での
開拓を迫られていました。
そこで、当時のゼロックスのCEOであったピーター・マカラウは
「デジタル革命に仲間入りする最良の方法は、革命の一部を買い取ることである」
と言い、SDS(サイエンティフィック・データ・システムズ)というコンピューター会社
を買収しました。
これがPARCの原形です。

コマンド&コントロール、つまり戦場で生成される膨大な情報を効果的に処理し
ますます複雑、精巧になっていくウェポンシステムを制御するにはどうしたら
良いのか、といううっとうしい問題に、
当時メインフレームと呼ばれた何部屋もあるコンピューターで何十人もの人が
何万行というプログラミングをパンチカードに打ち、計算していました。
次の日計算が終了していると思っていたら、433枚目のパンチカードでコンマが
抜けて計算が止まり、再度修正したら今度は4006枚目でゼロの代わりにオー
を打ち計算が止っていたという時代に
PARCでのマネージャーであったボブ・テイラーは
「コンピューターに数学的な機器としての興味を持ったことが一度も無いんだ。
コミュニケーション機器だと思っている。」と語ったそうです。
機械を人間に歩み寄らせることで初めて本当に解決できる問題であると。
このボブ・テイラーのもと、30名ほどの優秀な研究者とゼロックスからの
無限の資金をもとに、「命令、教育義務、締め切りというものから自由にしておく」
という理念のもと、このPARCは今のIT社会にはならなくてはならない発明を
立て続けに行いました。
1970年 ポータードライブ3180番地にゼロックス・パロアルト研究所設立
1971年 アラン・ケイが革命的オブジェクト指向言語「スモールトーク」を開発
後にC++やJavaに大きな影響を与えた
このアラン・ケイは「ダイナブック」という今のノートPCに相当する
概念を1969年に論文にし、ノートPCの生みの親と言われている。
1971年 シュタークウェザーが世界初のレーザープリンターを開発
1973年 パーソナルコンピューターの原型である「アルト」が稼動
このアルトは、当時何部屋もあったコンピューターを
机の上で動くものに変え、数学者のものであったコンピューターを
コミュニケーション機器に変えた
1975年 GUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェース)を開発
これが皆さんが毎日のぞいているマックやウィンドウズの
画面の原型である
1977年 デスクトップパブリッシングを開発
この技術で誰でもPCで出版物や広告を作れるようになった
1979年 ジェームズ・クラークが3Dコンピュータグラフィックスチップを開発
し、後にシリコングラフィックス社を設立
1979年 アップルコンピューターのスティーブジョブスがこの研究所を
訪れ、PCの原型であるアルトを見て後にマッキントッシュを
開発した(この話はあまりにも有名である)
1980年 PARCがイーサネットを開発し、ゼロックス・インテル・DECが共同で製品化
1984年 アップルがマッキントッシュを発表し、スーパーボウル中継時に
当時ビッグブルーと言われていたIBMの呪縛から市民を解放する
というコマーシャルを打って、全米中の話題になった。
このとき私は10歳。PC98と呼ばれるパソコンでねずみ捕りのゲームを
作っていました。
私がアメリカで日本にいる兄に、ノートPCを使ってメールを打ち、
そのメールがインターネットという媒体で兄に届き、そしてそのメールを
兄がプリンターで出力し、ホリエ社長に手渡しました。
まさに、ボブ・テイラーが35年前に描いていた技術を世界中の誰でも
利用できる環境にまでなりました。まさに革命です。
この革命的な時代に20代を過ごし、当たり前の世界だと思っていますが、
時間とは無縁な空気の流れるシリコンバレーという世界を見ることが出来、
その革命的な35年の歴史を感じることが出来ました。
アメリカ、日本。特にビジネスをしていく上で、ビジネスを行う上での環境が
整い、誰にでもチャンスがあると言うことを前向きにとらえ、楽しまないといけないですね。